ご挨拶

はじめまして、株式会社大同電気工業所です。
私たちは岩手県紫波町(しわちょう)と、70年間ともに歩んできた会社です。
紫波町は平泉の真北50㎞、盛岡市のすぐ南に位置し、盛岡のベッドタウンとして発展しました。

町の歴史は古く、ヤマトタケルが蝦夷征伐の際に宿営した古墳をはじめ、町内の「陣ヶ丘公園」は、源頼朝が陣を敷いた有名な陣所として「吾妻鏡」にも記されています。
室町時代に足利氏の一派である斯波氏(しばし)がこの地を支配するようになったことが、「紫波」の由来になりました。

町全体が史跡のような紫波町ですが、その中でも世界的に有名なのが、縄文時代の環状集落「西田遺跡」です。
東北新幹線の建設に先立って行われた発掘調査において、192基もの古墳と、それをとりまくように配列された竪穴式住居は、国内では例を見ない大規模な縄文遺跡の大発見として世界的大ニュースとなりました。

また、紫波町の誇りとして忘れてはならないのが、国民的ドラマ「銭形平次」の著者、野村胡堂(のむらこどう、本名・長一/おさかず)の存在です。
紫波町で生まれ育った長一は、盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)にて生涯の親友・金田一京助に出会い、下級生の石川啄木に俳句や短歌の手ほどきをしたと伝えられています。
東京帝国大学を中退した長一は、配属された報知新聞の連載で「胡堂」を号とし、同紙で社会部夕刊主任、社会部長、調査部長兼学芸部長、編集局相談役などを歴任しながら、文藝春秋の依頼で執筆した「金色の処女」を発表、これが「銭形平次捕物帳」の第一作となりました。

以降、第二次世界大戦をはさんで26年間、383編もの「銭形平次」をはじめ、多数の大衆小説や少年少女読み物を書き上げたほか、「あらえびす」の筆名でレコード評論等を多数執筆し、日本のクラシック黎明期にその先駆者として多大なる影響を与えました。
晩年は私財を投じて、若い人材や新しい文化の育成を目的とした「野村学芸財団」を創設、その事業の一つとして平成7年、故郷・紫波町に「野村胡堂・あらえびす記念館」が建設されました。
この記念館では、長一の直筆原稿をはじめ、数多くの蒐集遺産を目にすることができます。

自然と文化芸術にあふれた紫波町ですが、先の震災では甚大な被害を受けました。
私たちも被災し、みなさんと同じように電気のない不便な生活を強いられた経験から、「二度と電気がないという事態を引き起こしてはならない」と、強く決意いたしました。

大同電気は紫波町の歴史と共に70年間歩んできた会社です。
私たちは、紫波町民が安心して生活を営めるよう、電気業を通じてあなたの暮らしをサポートいたします。

電気でお困りのことがあれば、いつでも気軽にお問い合わせください。
株式会社大同電気は、あなたの暮らしのパートナーです。